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2024年10月12日 [浄化の旅]
こんにちは。
身体と心のセラピストNorikoです。

夫の命日に花を買って
会いに来てくれた娘の成長ぶりに
感動した親バカな今日この頃
皆さまいかがお過ごしでしょうか?


お詫びの旅へ@
お詫びの旅へA
お詫びの旅へB
お詫びの旅へC



島4日目。
とうとう最終日を迎えた朝に
母から電話があった。

旅の最中は滅多に
連絡をしてこないのに
どうしたのだろう?
電話に出てみると

「今こっちのニュースで
鳥島が地震だって。
そっちは大丈夫?」

とのコトだった。
ひとまず町の中で一番の高台
である神社へ向かうコトにした。

どうやらあと30分後くらいに
父島にも津波がやってくるという。

父島

すると続々と
イシリスの仲間から

「遠隔浄化します〜」

というとても心強いメッセージが
送られてきた。
遠くに離れていても
常に繋がれる仲間がいるコトが
とても有り難くて感謝しかない。

恐怖心を持つこともなく
島を見渡すこの場所から
ワタシ達も祈りを捧げた。

みんなの祈りのお陰さまか
津波警報も解除されたので
最後の父島での時間を
楽しむコトにした。

父島2白い珊瑚

父島3こんな標識を発見

父島4父島最後の食事は海鮮丼
とっても美味しかった♪


出港まで少し時間があったので
公園へ移動し
そこで潜在意識の最終チェック。
全てのわだかまりを手放し
許しと和解の意識になれると
ちょうど時間となった。

やり切った感で
思い残すコトなく父島を後に
船に乗り込む。

父島6甲板に出てみると
父島がどんどん雲に覆われていく。
目の前にはまるで龍のような
大きくて長い雲が父島を
守っているようにも見える。

ほんの1時間前までは
あの島に確かに居たというのに
まるで

「早く現実にお帰り」

っと言われたようで
一抹の寂しさを感じた。

トーキョーで最も秘境とされる
忘れられた楽園・父島が
消えていく…

父島5どんどんと波が高くなるが
この海の色の美しさに
ずーっと見惚れてしまった。
どこまでも濃いボニンブルーと
まるでラリマー石のような
柔らかなベイビーブルー。

自然が織りなす色に感動。


父島が視界から消えたのを最後に
イリュージョンの世界から
現実の世界に戻るワープの中へと
突入していく。

次第に船は揺れに揺れ
今まで体験したコトのない船酔いを
味わうコトとなる。

船の中で立っているコトが
まるで重力に反しているかのようで
とにかく氣持ちが悪い。
けれども横になっていると
不思議とむかつきが治まる。

なので極力トイレに行かず
ひたすら自分の寝床で静かに
寝ていた。

地震が起きたとされている
鳥島付近を夜中12時過ぎに
通過した時が
揺れマックスで
うつらうつらしながら
浄化をしてやり過ごした。

激しい揺れを感じながら
突然頭に浮かんできたのは

船に乗せられた奴隷

であった。
昔の奴隷達は舟底に座らされ
横になることも許されず
何日も過酷な航海をしていた
のだろうとフラッシュバックが
起きた途端申し訳なさで
いたたまれなくなった。

きっと上陸をする前に
命を落とした人も沢山
いたのだろうと思ったら
そのようなビジネスをしていた
だろう過去生の自分が見えた。

その時のカルマも今回
解消するコトが許され
父・母島へのお詫びの旅が
ようやく完結となったと感じた。

20時間以上の揺れに
酔い止め薬なしで耐えるコトが
出来たのも
潜在意識を変えられる
イシリス33メソッドがあった
お陰さまだった。

意識を使えば
結果がちゃんと付いてくる。

この不思議で夢のような
6日間はワタシの人生において
またまた忘れがたい体験となった。

父と母
戦争と平和
日本とアメリカ
自分の中のDNA

ようやく自分の中にある
2極の分離が統合へ動き出す。

全てにどうもありがとう。






今日も読んでくださり
どうもありがとうございました。






花白トルコキキョウの花言葉
「思いやり」「永遠の愛」〜〜♪♪

2024年10月09日 [浄化の旅]
こんにちは。
身体と心のセラピストNorikoです。

急な温度の変化に
やっぱり暑い方がいいなと
思えた今日この頃
皆さまいかがお過ごしでしょうか?


お詫びの旅へ@
お詫びの旅へA
お詫びの旅へB



よくよく考えてみたら
父島と母島という
ネーミングも面白いモノだ。

でもこの地に
足を踏み入れた瞬間から
なんだか
日本のお父さんとお母さん
的な存在に感じてきたのは
本当に不思議であった。

トーキョーから最も遠いと
言われている島まで
時間とお金をかけて訪れるのも
もしかすると
魂の故郷である父と母に
感謝を伝えにいく所だから
なのかも知れない…
と勝手に想像してみる。



島3日目は日帰りで母島へ
ご挨拶に行かせてもらう。

父島から肉眼で母島が見えるのに
フェリーでなんと2時間も
かかるという。

船の脇をカツオドリが飛んでいる。
まるでワタシ達を護衛してくれて
いるかのようで親しみが湧く。
母1顔もユニークなカツオドリ。


孤高の楽園・母島に滞在できるのは
わずか4時間ほど。
当初の予定ではレンタサイクルを
借りて島内を巡りたかったのだけど
すでに予約で埋まってしまったため
ワタシ達に残された交通手段は

徒歩。

毋2旧海軍の施設跡

母3今や絶滅危惧種になっている
ウミガメの為に産卵場所が
保護されている。

母4空には沢山の龍が集合
しているように見える。

ひたすら歩きまくったので
島からのご褒美を頂くコトに!

母5シャーベットになった
ドラゴンフルーツが美味しい♪

母6スターフルーツもゲット♪

母島で採れたフルーツで
エネルギーチャージ完了。

うっかり帰りの出港時間を
間違えていたコトに
友人が氣付いてくれて
慌ててチケット売り場へ走る。

昔見た「トレインスポッティング」
の映画のように
母島で3人のレディが突っ走る…

そんな母島に感謝。

続く…



今日も読んでくださり
どうもありがとうございました。



母7母島の暑さが恋しい〜〜♪♪

2024年10月05日 [浄化の旅]
こんにちは。
身体と心のセラピストNorikoです。

3日間の島生活では
10時には布団に入るという
超健康的なリズムに戻れた
今日この頃
皆さまいかがお過ごしでしょうか?



お詫びの旅へ@

お詫びの旅へA

「東洋のガラパゴス」と
言われている父島に来て2日目。
この日はレンタカーを借りて
島一周することに。

トーキョーから1000kmも
離れた島なのに
ココの車は「品川ナンバー」で
とても不思議な氣分。

この島はとても面白い形をしていて
父島龍の子供のよう。

そんな龍の島を探検!

父1ハイビスカスかと思いきや
テリハハマボウという
小笠原諸島に生息する固有種
だそう。
渋い色合いが素敵。

父2大神山神社にご挨拶。

父3ウェザーステーション展望台。

父4かつての滑走路。
ココから特攻隊が飛んで行ったそう。
500mというあまりの短さに
離着陸がとても難しかったのだとか。

父5ハイビスカスから元氣を頂く。

父6トーキョーのコーヒー豆!

父7中山峠からの景色。

父9途中カフェで涼む。
シフォンケーキとハイビスカスティー。

父10空を見上げたら龍が飛んでる〜。

父11島の真ん中に位置する
中央山展望台。

父12太陽パワー炸裂っ!

父14美しいサンセット。
島民の方も「今までで一番キレイだ!」
と感動していたので
間違えなく
この日のサンセットはベストだった!


景色だけを見ていると
大自然の美しさに圧倒され
よもやこの場所で戦いがあった
とは想像もつかないが
一歩奥に踏み込めば
戦争の爪痕がしっかりと残っていて
忘れられた歴史の破片が
放置されている…

続く。




今日も読んでくださり
どうもありがとうございました。



父13島じかんを満喫〜〜♪♪


2024年09月28日 [浄化の旅]
こんにちは。
身体と心のセラピストNorikoです。

日本でダブルレインボーが見れて
久々にテンションが上がった
今日この頃
皆さまいかがお過ごしでしょうか?



思ったより
安定した航海で無事に父島に到着。

港に着くと
太鼓の音が響いていて
島民の方々が温かく出迎えている。

その和やかな空氣がたまらなくて
思わず涙が溢れてきた…


旅に出る前
師匠である近藤先生から
ワタシはアメリカ軍代表
そして
一緒に同行するTさんとKさんは
日本軍代表だそうで
過去生で戦いあってたそうだ。
でも今回は調和のために
現地に行く必要があるとのコト。

そうだろうなと納得。

日本の外れの小さな島に
浄化に行こうと決めたのも
縁あってアメリカ人と結婚をした
理由があったからであった。

日本とアメリカを母国とする
子供を授かったのもきっと
深い意味があるのだと思えたら
やはり第二次世界大戦で
最初の戦いの地となった硫黄島を
浄化しなければ
自分の中の平和
そして
家族間の平和は訪れないだろうと
感じていた。

残念ながら今は
無人島となった硫黄島への上陸は
不可能なため
せめて父島と母島の土地だけでも
お詫びと許しの浄化を
させて頂きたいという経緯から

時代を超えて今ようやく
父島に入るコトを許された…

敵であるワタシを
人々や山、風、海、全てが
無条件に迎えてくれている。


自然に囲まれた美しい
この平和な島を汚してしまい
本当にごめんなさい…
島の平和と大調和をお祈りしながら
3日半お世話になるコトとなった。



宿泊先に荷物を置いてから
早速半日の戦跡ツアーに参加して
島内を案内してもらう。

ツアー境浦の座礁船・濱江丸

ツアー2小港岬砲台

ツアー3

ツアー4

ツアー5米軍機の残骸もそのまま

ツアー6ラピュタの世界のような
海軍の高角砲

ツアー7長崎の陸軍百五十糎照空灯

島のあちこちで風化していく残骸
を見ると
本当にこの場所で戦争が起きていた
のだなぁと実感。

痛々しいリアルな戦跡の中で
マリンスポーツを楽しむ人たち。
なんとも不思議な空間だ。

でももうこれ以上
人間の浅はかな欲で
地球の楽園を
犠牲にさせてはいけない。

続く。




今日も読んでくださり
どうもありがとうございました。




虹スコールの後に登場〜〜♪♪

2024年09月25日 [浄化の旅]
こんにちは。
身体と心のセラピストNorikoです。

昔に観た映画でも
同じような体験をすると
そのシーンが色濃く脳裏に浮かぶ
今日この頃
皆さまいかがお過ごしでしょうか?



小雨の降る竹芝桟橋に
予定より大幅に遅れての到着。

6日前にココから旅立った時の
あのむし暑さは何処へやら
肌寒さを感じるグレーなトーキョー
に戻ってきて
まるで自分が浦島太郎になったよう。

たった6日間離れていただけなのに
だいぶ前のコトのように感じる。


友人2人と一緒に
トーキョーから一番遠い東京である
小笠原諸島にある父島へ
浄化の旅に行って来た。

小笠原と言えば
イルカと一緒に泳げたり
ホエールウオッチング出来たりと
スキューバダイビングを
取ったばかりの自分にとって
当時は密かな憧れの場所であった。

whale

時は流れ
そのような夢を抱いていたコトも
忘れていたのだけど
突然
憧れの地に行けるチャンスが
やって来たのだった。

っとは言え
この旅はマリーンスポーツが目的
ではなく
自分にとって覚悟を伴う目的の
旅であった…

そもそも
父島へ行くには船に24時間
乗るしか方法がなく
最低6日間はかかるという
秘境の島であるため
安易に行けるような場所ではない
のだと調べて分かった。

その時点で
一緒に旅に行ってくれる人は
いるのか
一抹の不安はあったが
それでも

「絶対に行かなきゃ」

という心の奥底から湧き立つ
思いがワタシを奮い起こす。

有り難いコトに
賛同してくれる友人が現れ
6日間という長旅にこぎつける
コトが出来たのだった。


続く。




10月1日(火)のお話会
まだお席あります♪
10月tent
お申し込みはこちら★





今日も読んでくださり
どうもありがとうございました。




船夢と希望を抱いて
船に乗り込む〜〜♪♪


2024年07月31日 [浄化の旅]
こんにちは。
身体と心のセラピストNorikoです。

「日本三大霊山」が
富士山以外にどの山なのか
つい先月知った今日この頃
皆さまいかがお過ごしでしょうか?




日本に生まれて
日本で暮らしていても
まだまだ知らないコトばかりだ。

数年前から始めた浄化の旅
に行かせてもらうコトで
教科書を見るだけの学びでは
得られないほどの
リアルな感動が肌で感じられる。
学びは感じるのが一番!

訪れたどの町も特別で
とても思い出深い。
なのでその全ての街が
ワタシにとって
とても親しみがあって大好きな
場所になる。

この日も
新たな大好きな場所が誕生した。

「富山」

はとにかく水が豊富なのに驚いた。
日本三大霊山のひとつ立山を始め
山々に囲まれた土地柄か
日本海へと流れる川がいくつもあり
水田が広がっている。

ザ日本!

といった感じ。

そんな美しくのどかな風景だけど
実は悲しい歴史があったのだった。

神が通る川と書いて神通川。

1910年頃から
この川の上流にあった神岡鉱山から
大量のカドミウムが排出され
それによってイタイイタイ病という
公害病が発生したのだった。

神通川の上流の方まで
車を走らせる。

富山1赤い橋のずっと奥が
神岡鉱山。

この川の恩恵を受けながら
暮らしていた住民の方々が
突然原因不明の痛みに襲われ
周りからは偏見や差別をされ
想像を絶するような
辛く苦しい過去があったとは…

今また世間では
PFASと呼ばれている
有機フッ素化合物が水道水から
検出されたと全国で
取り上げられている。

歴史は繰り返すと聞くが
これも因果応報なのか?



この集落をずーっと見守ってきた
土地の神様に手を合わせる。

富山2苔の絨毯が敷き詰められた
とても趣ある素戔嗚社。

ココで昼食をと

富山4富山名物白えび天ぷらそばを。
なるとのようモノも
富山名物のかまぼこ。


次に向かった先は
目玉監的豪(めだまかんてっこう)。
ネーミングからして驚きだったが
実際に目にしてゾッとした。

富山3もうガイコツにしか見えないっ!

富山5こちらは
ロボコップ。

かつてこの広大な土地で
大日本帝国陸軍が演習場として
実弾射撃を行なったり
この目玉監的壕から
砲弾などの命中率や性能を
観察していたようだ。

終戦に伴い
陸軍第6技術研究所高岡出張所が
毒ガスのイペリット800kgを
焼却処分したとの記録が
残っているそうで
この静かな土地のどこかに今も
その残骸が残っているのかも…

一体自然に帰るまで
どのくらいの年月がかかるのだろう。
土地に染みついた当時の記憶が
少しでも癒され
浄化されますように祈る。

そして最後に向かうは

富山6「海王丸」と富山湾。

この日はあいにくの定休日で
帆が張っていなかったが
それでも堂々たる
この美しい姿が見れて良かった。

この「海王丸」は
第二次世界大戦終了に伴い
海外在留邦人の帰還輸送業務に
従事し
27,000名を輸送したのだとか。

そして普段太平洋側の魚しか
口にしないので
日本海・富山湾で揚がった
新鮮な魚が食べれたのは感激だった。

やっぱり花より団子かっ。

それにしても
知らなかった日本の歴史を
また少し感じるコトが出来て
嬉しく感じる。

そして
人との出会いで

「日本の現実」

を知った。

全て自分の宝となった。



乗り捨てレンタカーを返し
富山駅へ向かう。

あと2分で新幹線が到着する
というタイミングで
すでに5人待ちのチケット売り場
の列に並び
やっと買えたチケットを握り締めて
ホームに入ってきた新幹線に
走り込みセーフするというオチまで
用意してくれていた
見えない存在からの愛には
いつもながら感謝しかない。

またいつかご縁で繋がれたら
北陸に戻ってこよう。
どうもありがと。







今日も読んでくださり
どうもありがとうございました。




お話会’いよいよ来週です〜。
残り2席!
心よりお待ちしております。

2024年07月27日 [浄化の旅]
こんにちは。
身体と心のセラピストNorikoです。

旅に出かける毎に
大好きな街が増える今日この頃
皆さまいかがお過ごしでしょうか?



当日の能登半島の天氣予報が



だと前日に確認していたのに
のと里山空港に着いたら
青空が広がっていた。

能登の土地から早速
暖かく迎え入れてもらえたのかもと
嬉しくなった。

空港からふるさとタクシーという
乗合タクシーを利用して
最初の目的地である

真脇遺跡公園

まで乗せてもらう。
ココは縄文時代の人々が
暮らしていたという土地。

ココの空氣感は何か違う。
とっても優しいのだ。

のと震災に遭っても崩れなかった
竪穴式住居

のと2やっとたどり着いた
「復元環状木柱列」
のと3とてもミステリアスなこの配列。

事前にこの場所にタクシーを
お願いしていたので
ココから今度は穴水駅へと向かう。

どうやらこの辺りは
震災の影響で土地が沈んでしまい
海水面が上がったという。

一見立派な家々が立ち並んでいるが
家の中はグチャグチャで
町の人口も半分に減ってしまったと
タクシーの運転手さんが
話して下さった。

ブルーシートに覆われた屋根や
半壊した蔵
崩れた山
ひび割れたアスファルトの道
至る所に
震災の爪痕が見て取れる。

親切なタクシーの運転手さんに
別れを告げて向かったのは

のと4穴水大宮。
いまだにこの状態。
奇跡的にも古いモノは残り
比較的新しいモノは崩れていた。

師匠の近藤先生から聞いた

「本物だけが残っていく」

という言葉を思い出した。

のと5のと鉄道に乗って和倉へ。
この電車に乗ってきたおばあさんは
洗濯をしてきて
これから仮設住宅へ戻るのだという。
今までの家はもう住めないから
立て直しをしているのだそうだ。
氣の利いた言葉が見つからず
ワタシ達は笑顔で
おばあさんに手を振ってお別れした。


和倉駅に着き
ココからレンタカーでの移動。

のと6念願叶って「地震石」を拝む。

のと7この石のお陰で
揺れなかったのだとか。


能登での浄化が無事に終了。
ココから90分かけて
今夜の宿泊先である
富山市へ向かう。




今日も読んでくださり
どうもありがとうございました。




のと8ご当地グルメは楽しい〜〜♪♪
…飲み干した後だけど♪

2024年07月20日 [浄化の旅]
こんにちは。
身体と心のセラピストNorikoです。

数年ぶりに訪れた街でしたが
見慣れない店ばかりになっていて
時間の速さを実感した今日この頃
皆さまいかがお過ごしでしょうか?




なんとなく
まだ自分の中で解決していない
スッキリしない感覚があった。

昨日まで訪れていた
石川県の地図を
パソコンで見てみる。

見つけた…
コレだ。


それは一昨日参拝した
氣多大社からわずか徒歩5分ほど
の所にある小さな神社

大穴持像石神社。

ココには要石のような

地震石

が祀られているお陰で
地震がないと伝えられている。

なんでこの神社を
見落としていたのだろう。

簡単に行ける距離でもないし
近くまで行って来たばかりだし
行くのを諦めるか…

などと煮え切らないでいたのだけど
同行してくれた友人に
そのコトを伝えたところ
彼女にも心残りだった
場所があり
どうしてもそこが氣になる
というので
急遽2人で再訪する計画を
スタートさせた。

不思議なコトに
行くと決まった途端
浄化に行った方が良さそうな
場所の情報が入り始めた。
まるで
待ってました、と言わんばかり。

ようやく浄化に回らせて頂く場所
を絞り込んで
片道の飛行機と宿を押さえた。

もうコレで安心♪

ちょっとした心の緩みから
大変な事態になるとは
この時は知る由もなかった。



レンタカーを予約しないと…

と氣付いたのは出発の4日前。
いつものノリで
すぐに車が押さえられると
安心していたのだけど
やはり震災後の能登半島は
状況が違っていた。

のと里山空港には2つの
レンタカーショップがあるが
今は1つのみの営業。
しかもワタシが希望する
「乗り捨て」
が出来ない。

空港から約30kmほど離れた
1つ目の目的地である

真脇遺跡公園

まで行くのに
レンタカーがないのはキツい。
どうしようか
とりあえず空港のレンタカーに
連絡してみる。

すると

「〇〇に連絡してみると良い」

と言って連絡先を教えてくれた。
そのような
電話のリレーをしていくコト
4軒目で
やっと希望に叶う車を借りる手配
が出来たのだった。

震災後の道路や町の状況が
全く分からず
そんな中でお邪魔するのは
住民の方の迷惑になるかと思ったり
どこまで観光して良いのか
正直
今までで一番頭を悩ませた
スケジューリングであった。

けれども
「能登の土地を浄化する」
というこちらのオーダーを
天が聞き入れて下さったお陰か
能登の神さまからお許しが出たのか
最後の最後で
ちゃんと手はずが整ったのには
本当に驚いた。

優しく手を差し伸ばし
親身になって協力して下さった
能登の皆さまと
見えない存在のお陰さまで
安心して出発当日を迎えたのだった。


続く。



今日も読んでくださり
どうもありがとうございました。





sora本日の太陽〜〜♪♪

2024年07月17日 [浄化の旅]
こんにちは。
身体と心のセラピストNorikoです。

自分で作るおにぎりが
どうしてもジャンボサイズに
なってしまう今日この頃
皆さまいかがお過ごしでしょうか?



ひと月ほど前に
石川県と福井県の北陸へ
浄化に行かせて頂いたのだけど
帰宅したその翌日から
また再度石川県へ行くスケジュール
を立てるコトになるなんて…

そして
なぜにもう一度北陸の土地に
行く意味があるのか
旅の計画をしていく過程で
色々な氣付きをまた
多く得るコトになるのでした。


雨の予報が出ていたのですが
のと里山空港に着いたら晴れ!
何氣に撮った写真を見てみたら…?

能登龍神さまなのか
はたまた
もののけ姫の犬神・モロか?

あなたには何に見えますか?


続く。




今日も読んでくださり
どうもありがとうございました。




おにぎり宇宙一美味しい食べ物〜〜♪♪

2024年06月19日 [浄化の旅]
こんにちは。
身体と心のセラピストNorikoです。

今回の旅でも
とっても美味しいお水に出会えて
ハッピーな今日この頃
皆さまいかがお過ごしでしょうか?



「北陸で繋がる旅B」


さかのぼるコト2ヶ月前の4月。
友人達と浄化をしに
都内のとある場所を訪れた。

友人から提案されたその場所とは
古伝馬町にある十四公園。
この公園は江戸時代に

伝馬町牢屋敷

があったとされる。

訪れた時はちょうど
近所の園児達が遊びまわっていて
公園内はとても賑やかで
よもやこの場所で約270年もの間
数十万人の入牢者がいたとは
思えないほど平和な時間が
流れていた。

十思公園

この土地に来たのもきっと
過去生でご縁があったのだろう
と思いながら
浄化をさせて頂いた。

この公園の横には
小伝馬町牢屋敷展示館も隣接
されていたので
見学させてもらった。

かつての牢屋敷の模型や
当時の様子が説明された
パネルなどを見ていくと
ココで処刑されたという
鼠小僧や八百屋お七、そして
吉田松陰といった
有名人の名前が目に入ったので

十四公園’画像に収めた。







十思公園”!!!

ななんと
ココに橋本左内さんがっ!!!


この時は橋本左内さんの存在に
氣を留めるコトがなかった
のだけど
まさか福井でたまたま宿泊した町で
しかも
たまたま散歩に行った先で
偶然に寄った公園内のお墓が
小伝馬町牢屋敷で処刑された
左内さんだったとは…


この事実をパソコンで知った時
まさに

pcこんな状態になったのだった…

見えない糸で
手繰り寄せられたとしか
言いようがない偶然の重なりに

「何事も偶然はなく
 全ては必然」

なのだと納得するしかない。

意図しなくても自然と
そのように導かれたのだから。

けれどもこれこそが
浄化をする一番の醍醐味だと
ワタシは思うのだ。

そしてそれは
自分を知るコトに繋がる。

止められない
止まらない
クセになる面白さ!

自分を知るって
本当は楽しいのかも知れない。


次に行く所には一体

どんな物語が出てくるのだろう?

どの点と点が結ばれるのだろう?

どんな自分が待っているのだろう?







今日も読んでくださり
どうもありがとうございました。





水霊峰という名前が
氣になる〜〜♪♪


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