2018年08月08日 [マイライフ]
こんにちは。
身体と心のセラピストNorikoです。
先日フロリダ州出身の方と
台風の話をしたのですが
「え?日本に台風が来るって?
どこにですか〜?
なーんにも感じませんけど?
ワタシは本当の台風を知ってるのよ!」
と言った時の彼女のドヤ顔が
とてもキュートだった今日この頃
いかがお過ごしでしょうか?
今日は
を綴りますのでちょっと長文です。
One Directionの「Story of My Life」
をBGMにしてお読みくださいませ。
5年前の2013年8月8日。
どんよりとしたグレーの空と
窒息しそうなほどにムシムシした
空気を全身で感じながら
10時間前にいた所とは180度違う
成田空港に子供2人と共に降り立った。
10年という長かったようで短かった
ハワイでの生活にピリオドを打ち
日本へ帰ろうと決意したのは
2013年の5月。
それから
ハワイを去る8月までの3ヶ月間で
アパートと車を売りに出し
家具を友人に引き取ってもらい
引越し屋を手配し
日本の領事館
学校
お世話になった病院での
ペーパーワーク など
全てをひとりでやり終えた。
・
・
・
2010年に夫が他界してから
全ての決断をワタシひとりで
やっていかなくてはならない
現実と向きあった時
とても怖くて不安でたまらなかった。
もし
間違った選択をしてしまったコトで
子供達の人生をも狂わせてしまったら
どうしようと自信が全くなかった。
でも周りを見渡すと
たくさんの優しい手が
ワタシに向かって差し伸べられて
いるコトに気付き
その一つ一つの手に掴まって
引き上げてもらった。
やっとハワイの懐の温かさに
見守られながら
ワタシもシングルマザーとしての
自覚が少しずつ持てるようになり
せめて子供達が高校を卒業する
まではこの住み慣れた環境を
変えずにいようと決意した。
2013年3月。
子供達の学校が春休みに入ったので
久しぶりに日本へ里帰りをした。
その時にふっと
父の田舎へ墓参りに行きたくなり
レンタカーを借りて茨城まで
出かけた。
ご先祖様の前で手を合わせて
挨拶をした時
「もう帰ってきていいよ」
というメッセージが入ってきたような
感じがした。
自慢ではないがワタシはあまり
敏感な方ではないので
気のせいだろうと
さらっと流してしまった。
1週間ほどの短い滞在も終わり
日本の家族にも
「また来るね〜!」
と言って
澄み切った青い空のハワイへ
帰れる喜びを感じながら日本を後にした。
もうワタシの帰るところは日本ではなく
ハワイなんだと思えるほどに
日本に帰るという気持ちはこれっぽっちも
なかった。
春休みが終わり
また普段の生活に戻っていく中で
墓参りした時に感じたメッセージが
時折頭をよぎるようになった。
すると
なんだか急に自分がハワイに居る
意味が見出せなくなり
自分は一体何をしたいのだろう?
どんなコトをして過ごしたいのだろう?
そもそも何が好きなのだろう?
胸のザワザワ感を抑えながら
一つずつ紙に書き出していく作業を
始めた。
そして次に書き出した内容が
ハワイで出来るかどうか
チェックしていく。
しかしリストアップされた項目の
ほとんどはハワイでは実現し難い
ものばかりだった。
すると猛烈に日本に住みたいという
感情が湧きおこり
山本リンダのように
もうどうにも止まらなくなり
子供達に今のワタシの気持ちを伝え
帰国の同意を求めた。
ワタシは
子供のために生きる人生
ではなく
”ワタシ”として生きる人生
を選択したのだった。
きっとワタシの中で何かが
目覚めたのだろう。
帰国への迷いは一切なかった。
そう決めてからアメリカ出国までの
3ヶ月はあっと言う間だったが
人生の中でもとても濃い時間となった。
・
・
・
そして今。
「日本に連れて帰ってきてくれて
ありがとう」
と子供の口から聞かされると
あの時の自分の選択は
間違ってなかったのだと
嬉しくなる。
もちろんここまで来るのに
何度ぶつかり合ってきたコトか。
親子で辛い思いをしたコトもあった。
でもその度に乗り越えてきた。
自分の名前しか漢字で書けなかったのが
漢検4級に合格。
自宅から1時間以上も電車を乗り継ぎ
バイトに出かける。
徐々に日本の生活に溶け込んでいく
子供達の柔軟性は本当に素晴らしく
その姿に勇気付けられる日々。
だからこそ
ワタシも全力で子育てをする。
あと数年もすれば
子供達もそれぞれの夢に向かって
この家から
ワタシから
離れていくだろう。
その日が来るまで
ワタシが幸せだったというコトを
彼らの記憶に残したい。
たとえ周りから
間違った選択をしたと思われても
自分がベストの選択をしたと
思う限り
それは間違っていないのだ。
だって”ワタシの人生”なのだから。
また
予想不可能なコトが待っていようとも
「成るように成る」
と開き直れば
必ずその先には
手を差し伸べてくれる人がいてくれる。
そしてようやく今
ワタシがその手を差し出す番が来た。
自分が苦しかった時に
沢山の優しさをいただいたお陰で
自分もそのような手助けをする側に
なりたいと思えるようになった。
人から施された優しさというバトンが
人から人へボーダーレスで
どんどん渡っていく世界をイメージして
また次の5年を楽しみに歩んでいこう。
8月8日は
ダブルインフィニティ(無限)♪
身体と心のセラピストNorikoです。
先日フロリダ州出身の方と
台風の話をしたのですが
「え?日本に台風が来るって?
どこにですか〜?
なーんにも感じませんけど?
ワタシは本当の台風を知ってるのよ!」
と言った時の彼女のドヤ顔が
とてもキュートだった今日この頃
いかがお過ごしでしょうか?
今日は
を綴りますのでちょっと長文です。
One Directionの「Story of My Life」
をBGMにしてお読みくださいませ。
5年前の2013年8月8日。
どんよりとしたグレーの空と
窒息しそうなほどにムシムシした
空気を全身で感じながら
10時間前にいた所とは180度違う
成田空港に子供2人と共に降り立った。
10年という長かったようで短かった
ハワイでの生活にピリオドを打ち
日本へ帰ろうと決意したのは
2013年の5月。
それから
ハワイを去る8月までの3ヶ月間で
アパートと車を売りに出し
家具を友人に引き取ってもらい
引越し屋を手配し
日本の領事館
学校
お世話になった病院での
ペーパーワーク など
全てをひとりでやり終えた。
・
・
・
2010年に夫が他界してから
全ての決断をワタシひとりで
やっていかなくてはならない
現実と向きあった時
とても怖くて不安でたまらなかった。
もし
間違った選択をしてしまったコトで
子供達の人生をも狂わせてしまったら
どうしようと自信が全くなかった。
でも周りを見渡すと
たくさんの優しい手が
ワタシに向かって差し伸べられて
いるコトに気付き
その一つ一つの手に掴まって
引き上げてもらった。
やっとハワイの懐の温かさに
見守られながら
ワタシもシングルマザーとしての
自覚が少しずつ持てるようになり
せめて子供達が高校を卒業する
まではこの住み慣れた環境を
変えずにいようと決意した。
2013年3月。
子供達の学校が春休みに入ったので
久しぶりに日本へ里帰りをした。
その時にふっと
父の田舎へ墓参りに行きたくなり
レンタカーを借りて茨城まで
出かけた。
ご先祖様の前で手を合わせて
挨拶をした時
「もう帰ってきていいよ」
というメッセージが入ってきたような
感じがした。
自慢ではないがワタシはあまり
敏感な方ではないので
気のせいだろうと
さらっと流してしまった。
1週間ほどの短い滞在も終わり
日本の家族にも
「また来るね〜!」
と言って
澄み切った青い空のハワイへ
帰れる喜びを感じながら日本を後にした。
もうワタシの帰るところは日本ではなく
ハワイなんだと思えるほどに
日本に帰るという気持ちはこれっぽっちも
なかった。
春休みが終わり
また普段の生活に戻っていく中で
墓参りした時に感じたメッセージが
時折頭をよぎるようになった。
すると
なんだか急に自分がハワイに居る
意味が見出せなくなり
自分は一体何をしたいのだろう?
どんなコトをして過ごしたいのだろう?
そもそも何が好きなのだろう?
胸のザワザワ感を抑えながら
一つずつ紙に書き出していく作業を
始めた。
そして次に書き出した内容が
ハワイで出来るかどうか
チェックしていく。
しかしリストアップされた項目の
ほとんどはハワイでは実現し難い
ものばかりだった。
すると猛烈に日本に住みたいという
感情が湧きおこり
山本リンダのように
もうどうにも止まらなくなり
子供達に今のワタシの気持ちを伝え
帰国の同意を求めた。
ワタシは
子供のために生きる人生
ではなく
”ワタシ”として生きる人生
を選択したのだった。
きっとワタシの中で何かが
目覚めたのだろう。
帰国への迷いは一切なかった。
そう決めてからアメリカ出国までの
3ヶ月はあっと言う間だったが
人生の中でもとても濃い時間となった。
・
・
・
そして今。
「日本に連れて帰ってきてくれて
ありがとう」
と子供の口から聞かされると
あの時の自分の選択は
間違ってなかったのだと
嬉しくなる。
もちろんここまで来るのに
何度ぶつかり合ってきたコトか。
親子で辛い思いをしたコトもあった。
でもその度に乗り越えてきた。
自分の名前しか漢字で書けなかったのが
漢検4級に合格。
自宅から1時間以上も電車を乗り継ぎ
バイトに出かける。
徐々に日本の生活に溶け込んでいく
子供達の柔軟性は本当に素晴らしく
その姿に勇気付けられる日々。
だからこそ
ワタシも全力で子育てをする。
あと数年もすれば
子供達もそれぞれの夢に向かって
この家から
ワタシから
離れていくだろう。
その日が来るまで
ワタシが幸せだったというコトを
彼らの記憶に残したい。
たとえ周りから
間違った選択をしたと思われても
自分がベストの選択をしたと
思う限り
それは間違っていないのだ。
だって”ワタシの人生”なのだから。
また
予想不可能なコトが待っていようとも
「成るように成る」
と開き直れば
必ずその先には
手を差し伸べてくれる人がいてくれる。
そしてようやく今
ワタシがその手を差し出す番が来た。
自分が苦しかった時に
沢山の優しさをいただいたお陰で
自分もそのような手助けをする側に
なりたいと思えるようになった。
人から施された優しさというバトンが
人から人へボーダーレスで
どんどん渡っていく世界をイメージして
また次の5年を楽しみに歩んでいこう。
8月8日は
ダブルインフィニティ(無限)♪