2019年03月02日 [マイライフ]
こんにちは。
身体と心のセラピストNorikoです。
息子の卒業式に参列するため
時間に間に合うように
電車のスケジュールを立てて
出かけたのですが
最寄駅に着いたら
電車のダイヤの乱れで遅れ
「卒業生入場〜!」で
一緒に入場しちゃった今日この頃
皆さまいかがお過ごしでしょうか⁈
やっと!というか
もう⁈というか
息子が無事に高校を卒業いたしました。
10年前までは
「早く18歳になってもらって
家から出て行って欲しい!」
と平気で子供達に対して言っていた
本当に最悪な自分でありました。
あの頃を思い出すだけで
顔から火が噴き出しちゃうくらい
大人気ない親でした…
息子は小学3年生の時にADHDと診断され
それまで
・名前を呼んでもこっちを見ない
・落ち着きがない
・コミュニケーションが上手く出来ない
などなど
ワタシの子育てが原因で
このような子供になってしまったのかと
ずっと悩んでいたので
「ADHD」という診断された時は
「だから扱いにくかったのね〜!」
と納得できる理由が見つかって
安堵したのを覚えています。
あの時は本当にホッとしました。
その日から投薬の日々が始まりました。
周りからは反対の声もありました。
が
その時はとにかくワタシが楽に
なりたかった…
いつもイラついて子供に当たってしまう
自分でいたくなかった…
結局5年間ほど投薬をしながら
生活をしていましたが
日本に帰国して
少し精神的に落ち着いた頃を見計らって
本人の意思を尊重し
薬に頼らない方向に進むことに
決めました。
サプリメント療法
カイロプラクティックでの自然療法
ホメオパシー療法
など
息子が自分自身を取り戻し
伸び伸びといられるために
色々な療法を試していきました。
徐々に落ち着きを取り戻し
ワタシとも
人と人としての会話が出来るように
なっていくようになると
今まで気づかなかった
息子の感性や思考が見えてきて
自分の子供ながら
どんな子なのだろう?
とますます興味が持てるように
なりました。
もちろん
・朝が弱い
・ゲームが止められない
・独り言が多い
のは相変わらずですが
それでも
毎朝制服を着て
スイカ持って
満員電車に揺られて
家から遠い学校に通うことを
3年間も続けられたコトが
息子の日々の成長を見届けるコトが
ただただ嬉しかった。
10年前
ワタシは息子を見てくれた精神科医に
「今治療をしないと
犯罪者になる可能性がありますよ。
刑務所にいるほとんどの受刑者は
こういった障害の人ですから。」
と言われました。
母親からは
「親としての威厳を持ちなさい!」
と叱咤されたコトもありました。
その時はそれらの言葉を鵜呑みにして
ますます不安で自信がなくなり
その恐怖から子供達に当たり散らすという
負のループにハマっておりました。
でも
そんな辛かった体験も
今となってはとても有難い思い出となって
懐かしく思えるまでになりました。
この息子でなければワタシは「親」には
なれなかったのだと思うのです。
まだまだ未熟なところもあるけれど
一緒に「親子」を学び合っているコトが
何よりの幸せです。
今は正直
息子がADHDだろうが何だろうが
どうでもよくなりました。
もう
そんなコトに囚われることなく
「息子」
というオリジナルキャラクターで
いてくれることに
むしろ誇りを感じるようになりました。
息子を通して「意識」を学んだおかげで
強くなれたのだと思います。
ここまで来るのに長ーい道のりでしたけど
それでも
この長い月日のお陰で
確実に人としての成長をさせてもらいました。
・自分が変わりたいと望むなら必ず変われる
・人生の修正に「遅すぎ」はない
自分が経験して気づかせてもらいました。
有難いです…
息子へ
いつも傍にいるのが
当たり前になっていたから
ずっと頼ってしまったね。
いつも相談に乗ってくれてありがとう。
いつも励ましてくれてありがとう。
大きなハグもありがとう。
でも
どうやら
あなたから自立しなきゃ
いけない時が来たみたい。
あなたの成長を楽しみにしながら
ワタシも成長していこう。
平成最後の春に
一緒に卒業おめでとう!
親バカ内容をお許しください…
そろそろかな…?
…そろそろだね。
身体と心のセラピストNorikoです。
息子の卒業式に参列するため
時間に間に合うように
電車のスケジュールを立てて
出かけたのですが
最寄駅に着いたら
電車のダイヤの乱れで遅れ
「卒業生入場〜!」で
一緒に入場しちゃった今日この頃
皆さまいかがお過ごしでしょうか⁈
やっと!というか
もう⁈というか
息子が無事に高校を卒業いたしました。
10年前までは
「早く18歳になってもらって
家から出て行って欲しい!」
と平気で子供達に対して言っていた
本当に最悪な自分でありました。
あの頃を思い出すだけで
顔から火が噴き出しちゃうくらい
大人気ない親でした…
息子は小学3年生の時にADHDと診断され
それまで
・名前を呼んでもこっちを見ない
・落ち着きがない
・コミュニケーションが上手く出来ない
などなど
ワタシの子育てが原因で
このような子供になってしまったのかと
ずっと悩んでいたので
「ADHD」という診断された時は
「だから扱いにくかったのね〜!」
と納得できる理由が見つかって
安堵したのを覚えています。
あの時は本当にホッとしました。
その日から投薬の日々が始まりました。
周りからは反対の声もありました。
が
その時はとにかくワタシが楽に
なりたかった…
いつもイラついて子供に当たってしまう
自分でいたくなかった…
結局5年間ほど投薬をしながら
生活をしていましたが
日本に帰国して
少し精神的に落ち着いた頃を見計らって
本人の意思を尊重し
薬に頼らない方向に進むことに
決めました。
サプリメント療法
カイロプラクティックでの自然療法
ホメオパシー療法
など
息子が自分自身を取り戻し
伸び伸びといられるために
色々な療法を試していきました。
徐々に落ち着きを取り戻し
ワタシとも
人と人としての会話が出来るように
なっていくようになると
今まで気づかなかった
息子の感性や思考が見えてきて
自分の子供ながら
どんな子なのだろう?
とますます興味が持てるように
なりました。
もちろん
・朝が弱い
・ゲームが止められない
・独り言が多い
のは相変わらずですが
それでも
毎朝制服を着て
スイカ持って
満員電車に揺られて
家から遠い学校に通うことを
3年間も続けられたコトが
息子の日々の成長を見届けるコトが
ただただ嬉しかった。
10年前
ワタシは息子を見てくれた精神科医に
「今治療をしないと
犯罪者になる可能性がありますよ。
刑務所にいるほとんどの受刑者は
こういった障害の人ですから。」
と言われました。
母親からは
「親としての威厳を持ちなさい!」
と叱咤されたコトもありました。
その時はそれらの言葉を鵜呑みにして
ますます不安で自信がなくなり
その恐怖から子供達に当たり散らすという
負のループにハマっておりました。
でも
そんな辛かった体験も
今となってはとても有難い思い出となって
懐かしく思えるまでになりました。
この息子でなければワタシは「親」には
なれなかったのだと思うのです。
まだまだ未熟なところもあるけれど
一緒に「親子」を学び合っているコトが
何よりの幸せです。
今は正直
息子がADHDだろうが何だろうが
どうでもよくなりました。
もう
そんなコトに囚われることなく
「息子」
というオリジナルキャラクターで
いてくれることに
むしろ誇りを感じるようになりました。
息子を通して「意識」を学んだおかげで
強くなれたのだと思います。
ここまで来るのに長ーい道のりでしたけど
それでも
この長い月日のお陰で
確実に人としての成長をさせてもらいました。
・自分が変わりたいと望むなら必ず変われる
・人生の修正に「遅すぎ」はない
自分が経験して気づかせてもらいました。
有難いです…
息子へ
いつも傍にいるのが
当たり前になっていたから
ずっと頼ってしまったね。
いつも相談に乗ってくれてありがとう。
いつも励ましてくれてありがとう。
大きなハグもありがとう。
でも
どうやら
あなたから自立しなきゃ
いけない時が来たみたい。
あなたの成長を楽しみにしながら
ワタシも成長していこう。
平成最後の春に
一緒に卒業おめでとう!
親バカ内容をお許しください…
そろそろかな…?
…そろそろだね。