2021年05月08日 [人生の学び]
こんにちは。
身体と心のセラピストNorikoです。
どうやら2ヶ月ほど前に
息子と娘の間で意見の違いから
冷戦状態が続いていたのですが
久々に実家に帰ってきた息子と
意見の相違を修復している
冷静な娘を見ていて
もうワタシの出る幕はないなと
このブログを打っている今日この頃
皆さまいかがお過ごしでしょうか?
突然ですが
あなたがもし
言葉を話すコトが出来ない
としたら
どのように生きていきますか?
周りの言っているコトは
ちゃんと理解はしているけれども
相手に伝えるための「言葉」が
出てこない…
多少の人間関係には
悩むコトはあっても
お互いの思いを伝え合うコトに
不自由をしていない自分には
もしも…
と言われても想像し難いところです。
ですが
このような生き方を「普通」としてる
人が実際にいるコトを知りました。
先日こちらの映画を観てきました。
「僕が飛びはねる理由」
まず驚いたのが
この映画の原作がななんと
当時わずか13歳の男の子によって
描かれていたコト。
そしてこの彼
東田直樹さん
は会話が出来ない重度の自閉症
であるとのコト。
3次元では「障害者」と
レッテルを貼られてしまった
精神意識の高い彼らが
何を見つめ
何を思い
何を望むのか?
ADHDの子を持つワタシでも
自閉症については
お恥ずかしながら
分かっていないコトだらけ
でしたので
とても興味をかき立てられた
のでした。
映画を見終わって分かったコト
・
・
・
思った通りに身体を動かせる
というコトはどれだけ
素晴らしくて
幸せなコトか…
自分の思いを人に伝える
って幸せなコトだったんだ…
こんなシンプルなコトが
あまりに当たり前過ぎて
意識するコトすらなかった
自分に氣付きました。
そして
言葉を使ってのコミュニケーション
という
ワタシ達にとっての「普通」と
言葉を使わないコミュニケーション
という
彼らにとっての「普通」とに
違いはあれどもみんな
意思があって
感情があって
そこに境界線はなく
だからこそ彼らの
「思いを伝えられない
もどかしさや苛立ち」
を見た目に惑わされずに
ワタシ達が理解する必要がある
のだと思いました。
また映画で紹介されていた
5人の自閉症の子達の親の言葉
「直樹の本を読んで
娘の苦労を知った
正しい母親であろうとするあまり
我が子を見ていなかった」
「この子が(自分を)親にしてくれたし
我々の人生観さえ変えてくれた」
が痛いほど
ワタシの胸に共振したのでした。
振り返れば1歳検診の頃から
その兆候はありました。
名前を呼んでも顔を上げず
ワタシを見るコトすらなく
いつも
自分の世界に浸っていた息子。
◆自分は母親として失格だ
◆言うコトを聞かない息子を
愛するコトが出来ない
といった焦りが
ワタシを必死に「正しい母親」へと
駆り立てていたのですが
そうすればするほど
息子は命がけで反発してくる。
負のループをずーっと
グルグル回っていました…
でもそのループは簡単に
抜け出せるコトが出来たのです。
「正しい親」を止めるコト
「正しい親」は決して
子供にとって嬉しいモノでは
ないのですね。
かつてのワタシもそうであったあまり
本当の「息子」を見過ごしていました。
ですがそれを手放し
この子のお陰で
親にならせてもらった
と素直に思えた時
親子の関係が変わってきたのでした。
これは特別「発達障害」の子育てに
限ったモノではありません。
自分が親となった時
あなたは自身のお子さんに対して
どのような立ち位置でいるか?
どのような目線で向き合うか?
ついつい自分の子を私物化
(そもそも私物化しているなんて
ツユにも思ってないですが)
してしまいがちですが
自分の子供であっても
ひとつの独立した人間である
というコトを意識したら
お互いが心地良い距離感で
向き合っていけると思うのです。
お陰さまで
今はワタシから巣立っている
息子はとても頼もしく
親を思ってくれる優しい子へと
成長してくれています。
僕らはきっと
文明の支配の外に生まれた
多くの命を殺し
地球を壊した人類に
大切な何かを
思い出してもらうために…
と作者・直樹さんは
ワタシ達に語っています。
本当は
全てをお見通しなのでしょう。
目覚めが必要なワタシ達のために
敢えて
「言葉」を持たないという
選択を自らされて
この世に生まれ出てきた彼らの
真の優しさと勇気と覚悟に
ありがとう。
それから
彼らの親となられた
愛ある方々へありがとう。
そして
世界中のママへ
母の日おめでとう♪
今日も読んでくださり
どうもありがとうございました。
カンパニュラの花言葉
「後悔」「誠実」
仲直りするにはこのお花で〜〜♪♪
身体と心のセラピストNorikoです。
どうやら2ヶ月ほど前に
息子と娘の間で意見の違いから
冷戦状態が続いていたのですが
久々に実家に帰ってきた息子と
意見の相違を修復している
冷静な娘を見ていて
もうワタシの出る幕はないなと
このブログを打っている今日この頃
皆さまいかがお過ごしでしょうか?
突然ですが
あなたがもし
言葉を話すコトが出来ない
としたら
どのように生きていきますか?
周りの言っているコトは
ちゃんと理解はしているけれども
相手に伝えるための「言葉」が
出てこない…
多少の人間関係には
悩むコトはあっても
お互いの思いを伝え合うコトに
不自由をしていない自分には
もしも…
と言われても想像し難いところです。
ですが
このような生き方を「普通」としてる
人が実際にいるコトを知りました。
先日こちらの映画を観てきました。
「僕が飛びはねる理由」
まず驚いたのが
この映画の原作がななんと
当時わずか13歳の男の子によって
描かれていたコト。
そしてこの彼
東田直樹さん
は会話が出来ない重度の自閉症
であるとのコト。
3次元では「障害者」と
レッテルを貼られてしまった
精神意識の高い彼らが
何を見つめ
何を思い
何を望むのか?
ADHDの子を持つワタシでも
自閉症については
お恥ずかしながら
分かっていないコトだらけ
でしたので
とても興味をかき立てられた
のでした。
映画を見終わって分かったコト
・
・
・
思った通りに身体を動かせる
というコトはどれだけ
素晴らしくて
幸せなコトか…
自分の思いを人に伝える
って幸せなコトだったんだ…
こんなシンプルなコトが
あまりに当たり前過ぎて
意識するコトすらなかった
自分に氣付きました。
そして
言葉を使ってのコミュニケーション
という
ワタシ達にとっての「普通」と
言葉を使わないコミュニケーション
という
彼らにとっての「普通」とに
違いはあれどもみんな
意思があって
感情があって
そこに境界線はなく
だからこそ彼らの
「思いを伝えられない
もどかしさや苛立ち」
を見た目に惑わされずに
ワタシ達が理解する必要がある
のだと思いました。
また映画で紹介されていた
5人の自閉症の子達の親の言葉
「直樹の本を読んで
娘の苦労を知った
正しい母親であろうとするあまり
我が子を見ていなかった」
「この子が(自分を)親にしてくれたし
我々の人生観さえ変えてくれた」
が痛いほど
ワタシの胸に共振したのでした。
振り返れば1歳検診の頃から
その兆候はありました。
名前を呼んでも顔を上げず
ワタシを見るコトすらなく
いつも
自分の世界に浸っていた息子。
◆自分は母親として失格だ
◆言うコトを聞かない息子を
愛するコトが出来ない
といった焦りが
ワタシを必死に「正しい母親」へと
駆り立てていたのですが
そうすればするほど
息子は命がけで反発してくる。
負のループをずーっと
グルグル回っていました…
でもそのループは簡単に
抜け出せるコトが出来たのです。
「正しい親」を止めるコト
「正しい親」は決して
子供にとって嬉しいモノでは
ないのですね。
かつてのワタシもそうであったあまり
本当の「息子」を見過ごしていました。
ですがそれを手放し
この子のお陰で
親にならせてもらった
と素直に思えた時
親子の関係が変わってきたのでした。
これは特別「発達障害」の子育てに
限ったモノではありません。
自分が親となった時
あなたは自身のお子さんに対して
どのような立ち位置でいるか?
どのような目線で向き合うか?
ついつい自分の子を私物化
(そもそも私物化しているなんて
ツユにも思ってないですが)
してしまいがちですが
自分の子供であっても
ひとつの独立した人間である
というコトを意識したら
お互いが心地良い距離感で
向き合っていけると思うのです。
お陰さまで
今はワタシから巣立っている
息子はとても頼もしく
親を思ってくれる優しい子へと
成長してくれています。
僕らはきっと
文明の支配の外に生まれた
多くの命を殺し
地球を壊した人類に
大切な何かを
思い出してもらうために…
と作者・直樹さんは
ワタシ達に語っています。
本当は
全てをお見通しなのでしょう。
目覚めが必要なワタシ達のために
敢えて
「言葉」を持たないという
選択を自らされて
この世に生まれ出てきた彼らの
真の優しさと勇気と覚悟に
ありがとう。
それから
彼らの親となられた
愛ある方々へありがとう。
そして
世界中のママへ
母の日おめでとう♪
今日も読んでくださり
どうもありがとうございました。
カンパニュラの花言葉
「後悔」「誠実」
仲直りするにはこのお花で〜〜♪♪